2012年9月18日火曜日

借りぐらしへのあこがれ


先日、ノルウェーの妖精のDVDを見た。
時を司る青の妖精と農家で借りぐらしをする赤の妖精の話。
青の妖精は雪と氷に閉ざされた山の穴蔵でストイックに生きている。
赤の妖精には、太っちょの赤ら顔がいたり、借りぐらしどころか、金目の物を盗む悪いのもいる。
お話のメインは、当然、青の妖精である。

最近、冬場の毎日の雪の対処に嫌気がさして、街ぐらしにあこがれている。
もともと、親とはアパート住まいが長かったので、抵抗はない。一軒家に比べて狹いので当然借りぐらしの発想が求められる。
本は図書館から。散歩は公園にて。自転車や自動車もシェアできればいいな。
冷蔵庫も小さいから、食材は毎日の必要量だけ購入する。
まさに、借りぐらしの生活である。

もともと、人間生活は借りぐらしであった。食料は、天からの恵み。
土地だって、自分のものじゃない。自分の金で購入するというのは、発想が逆転している。
最近は、工業社会なので、人間が付加価値をつけると思っているのだが、究極は、水、食料、資源、エネルギーだ。
どれもが、人間が創りだしたものではない。(注:ここは、疑問符をつけながらの断定形式。)

「あげる、してあげる」の裏にはおごりがある。シェアには、所有概念がつきまとう。
思い切って、自分の物なんてありはしないと理解しよう。
自分の身体も借り物かもしれないぞ。

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