■ 所 在 県立 六316ラ 公
(著者)カナダ・クイーンズ大学教授(社会学)
(著者)監視社会、私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章、膨張する監視社会、監視スタディーズ、スノーデン・ショック、9・11以後の監視
社会に監視される時代から、ひとびとが進んで監視する時代へ
p.14 今日出現しつつある「監視文化」は、空前のものである。その特徴は、人々が積極的に監視に関わっていることであり、また自分や他人の監視を制限しようとしていることでる。…多くの人がソーシャルメディアなどを使って、他人の動向をチェックしている。…
p.15 監視文化の重要な側面は商業的プラットフォームに埋め込まれた可能性を反映している。
監視文化は「利用者の作る監視」だと特徴づけることができる。「利用者の作るコンテンツ」というWeb2.0と同等のテクノロジーが、利用者によるコンテンツの配信と同時に、監視という形態を作り出すのだ。
p.21 「監視国家」は戦争直後の、「オーウェル的」な時代にはよく機能した。
p.22 「監視社会」はもともと、監視がかつて行われていた場所(政府、公安、職場など)から、日常の多くの局面を溢れ出したことを示すために生み出された言葉である。とはいえ重点はいかに外部からの日常生活の監視が増大しているかという所にあった。したがって、市民が、消費者が、旅行者が、従業員が、自ら監視に関与していることに対しては、あまり注意を向けなかったのである。
p.252 監視国家や監視社会を超えた監視文化の現状を直視することも重要である。監視国家も監視社会も、手垢のついた概念となっている。
監視文化を理解することは、人々が監視を経験しているだけでなく、自らそれに関与しているあり方を認識することである。
映画にもなった「ザ・サークル」あを推奨している。
(訳者あとがき)田畑暁生 東京大学大学院(社会情報学)修了。現在、神戸大学人間発達環境学研究科教授。
著者デイヴィッド・ライアン教授は、監視社会研究の第一人者。
「監視国家」「監視社会」から「監視文化」へ、簡単に言えば、国家や組織(企業)が主導して監視を行う時代から、一般の人々が自ら監視に関与する時代へ、というのが、本書の問題意識である。
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