先日、茨城県の方と仕事し、夜、飲んだのだが、水戸学の話をされていたのが、妙に印象的だった。
こちとら、蝦夷だし、先祖も、農家であろう。だから、そういう思想の類は縁がないのだが、ないが故に、そういった発言が気になるのであった。
「帝都の事件を歩く」という本を図書館から借りている。今度、銀座が本店にある会社にちょっと寄るのだが、付近でどこかないかな、と本をパラパラと見ていたら、「日本橋」の項で、次のような紹介があった。
昭和7年、日本橋の三井本館の玄関先で、団琢磨が血盟団の菱沼五郎に撃たれた。菱沼は、大洗出身で、上京し、学校に入ったが、色覚異常で鉄道の運転手の夢が立たれ、大洗に戻った。そこで、井上日沼に出会い、「一人一殺」の世界観に惹かれていく。菱沼は長生きして茨城県県議会議長まで昇りつめ、原子力推進にかかかる。
wikipediaで菱沼五郎を調べると、
「茨城県那珂郡前渡村で農業徳松の3男に生まれ、水戸勤王の遺風を学んで成長」。また、原子力との関連では、「茨城県漁業協同組合連合会の会長」という立場での関与のようだ。
事件は帝都で起きている。しかし、どうだろう、昭和という時代の連続性は見事なまでだ。
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