2013年7月23日火曜日

【書籍】 西脇千瀬 『幻の野蒜築港』 藤原書店 2012.12


副題:明治初頭、東北開発の夢
p.17-19 明治11年大久保 東北開発として、宮城県の野蒜に港を開設を提案。北上川と阿武隈川、鳴瀬川と運河で結び、東日本の運輸体系を整備するもの
p.26-30 明治12年着工し、明治15年第一期工事完成し、落成式。明治17年、台風の襲来と鳴瀬川の出水により東側突堤が流出・破戒され、中断。
p.41 維新後、仙台藩の約3万2000人のうち、約2万7000年は帰農さ、北海道に渡る。この人数は、会津藩より多い。

☆野蒜築港のモデルがイギリスとのことだが、明治24年に東北本線が全線開通していることを考えると、国内物資輸送として海運から鉄道への転換期だったことも計画放棄の大きな理由だと思う。戦後の太平洋側の開発もことごく失敗しているが、直接、アメリカ等へ輸出するようでなければ無理があるということだろう。
■ 書籍情報入手先   ★☆☆☆☆
  『新聞書評(2013.3-)』 2013/3/31 毎日
■ 所 在
  県立

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