p.142 「自由な労働 者」は、雇用されて働く以外に選択肢がなく、失業したら生きていけない、という経済的な「間接的強制」を受けているのである。しかも、「自由な自己決定」の結果については、必然的に「自己責任」が問われることとなる。
このような状態こそ「隠された奴隷制」なのである。そして、それは「隠された不正」にほかならない。
p.210 新世界の奴隷制がなければ、資本主義はなかったし、近代世界システムも生まれなかった。
p.212 「自由な労働者」というヴェールに覆われた「隠された奴隷制」がなければ、資本主義は成り立たない。
○最後の章では、資本主義の崩壊という状況を踏まえ、社会的な混乱と無秩序な世界が支配するという悲観的予想や、協働型ビジネスモデルなどへの転換というポスト資本主義を紹介している。
☆全く働く必要のない資産家以外は、奴隷にほかならない。ほとんどの人がそうではないか?じゃ、なぜ圧倒的多数の奴隷は奴隷制度から自ら解放できないのだろうか?
☆自らを自由人とみなす、マインドコントロールなのか?錯覚なのか?
☆協働型ビジネスモデルは本当にポスト資本主義と言えるのかどうか?どうもわからない。
☆タイトルは、「埋め込まれた」奴隷制ではないな。
■ 書籍情報入手先
『新聞書評(2019.9-)』 2019.9.28 朝日
『新聞書評(2019.7-)』 2019.7.27 広告
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県立 7FS309.0ウ
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