(所在)県立 市立429ウ
p.91-100
日本における原子爆弾製造研究は、理化学研究所の仁科研究室に始まった。昭和16年から陸軍の委託ではじまり、昭和18年に検討結果を報告書として提出した。熱拡散法によるウラン濃縮は失敗だった。昭和19年にはサイクロトロンの建設計画が提出された。
筆者は、「サイクロトロンは、(略) 原子爆弾の製造に直接つながる実験装置ではないことは研究者なら周知の事実である。(略)(仁科研究室の)計画書の記述は、大サイクロトロンの建設に必要な予算と人材を確保するために、仁科が合理的に考えた口実だった可能性がある。」
私も、サイクロトロンの研究は原子爆弾製造と関係がないはずなので、かねてより、なぜと思っていました。筆者は研究の口実としていますが、それならわからないわけでもないが、では、なぜサイクロトロンの建設及び研究を企てたのか?しかも、敗戦が濃厚だった時期に。本書では、世界で2番目のサイクロトロンと書いてありますので、科学者の功名の焦りとも考えられますが、科学者ならすぐばれる話なので、どうもそんな感じがしない。
むしろ、サイクロトロンによって理論物理の研究で日本が最先端に立ちたいという野心ではなかったかと推察します。
実際、物質を構成する粒子の研究には、サイクロトロン(加速器)で粒子を高速(できる限り光の速度に近づける)にして、別の粒子にぶつけて、出てきた粒子を調べることですので、仁科の方向性は決して間違ってはいないと考えます。
また、理化学研究所の位置づけも気になる。
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