今まで、キリスト教の本質(?)がこんなにわかりやすく語られた本があったであろうか。
ぜひ、一読をおすすめしたい。
p.16- ユダヤ教もキリスト教も「ほとんど同じ」。神の言葉を聽く「預言者」がいる。ただし、「神の子 イエス・キリスト」は預言者ではない。預言者以上の存在。
p.26 ヤハウェは自然現象をかたどった神で、戦争の神。
p.88 偶像崇拝がいけなにのは、偶像をつくったのが人間だから。
p.89 マルクス主義:資本主義がいけないのは、疎外→物象化→物神化というプロセスによって、人間の労働がほんとうの価値の実体なのに、それが商品になり貨幣になり資本になり、物神崇拝されるに至って、自分がつくりだしたものをそれと知らずにあがめている転倒した世界だからです。
マルクス主義の資本主義批判を参考にすると、一神教の偶像崇拝批判がよくわかる。偶像崇拝がいけないのは、Godではないものを崇拝しているから。
p.184 救うのは神だから、人間は自分で自分を救えない。救いは、恩恵(神の行ない)の問題。神の恩恵に対して、人間は発言権がない。
p.196 愛も律法も、神と人間との応答であり、神と人間との関係を設定する契約である。イエスは、愛を神と人間との契約だと考えた。
p.205 イサクの犠牲とイエスの犠牲が、一人息子を献げるという構図で、対応している。
p.215 ユダは神の計画の一部というのが、「ユダの福音書」の立場
p.245 精霊は、昇天したイエスの代わりに、弟子たちが集まっているところに降りてきて、炎みたいになったり、彼らに入り込んで特別な状態を作り出したりした。
p.250 イスラムのイジュマーは全員一致でなければ決定できない。公会議は多数決。
p.254 キリスト教には2つの組織原理がある。ひとつはみな平等。もうひとつは、統一を重視し、ヒエラルキーのある組織をつくる。
p.256 東方教会と西方教会が分裂したのは、ローマ帝国が分裂したから。分裂すると、両教会合同の公会議が開けなくなり(道中の警護や費用の負担ができない)、解釈がしだいに食い違うようになった。
p.260 EUは、西ローマ帝国の跡地につくられたようなもの。そこでは、ローマ教皇は政治的な権力を握らず、別に世俗の権力者がいた。つまり、世俗の権力と宗教的な権威とが二元化していた。
p.262 西ヨーロッパでは、ドルイド教の祭司たちの社会的地位はきわめて高く、キリスト教に改宗しても、王たちが聖職者や教会関係者を尊敬した(八木「天使はなぜ堕落するのか」)
p.264 政教分離というより、併存。
p.270 教会は王を支援して、戴冠という儀式を考えた。名目上、王に対する優位を確保した。教皇が命じて、王たちを戦争に行かせる、十字軍みたいなことも可能となる。
p.276 キリスト教徒は、何をやりたいか考え、禁止されていないことは「できる」と考える。目的を考え、手段を考え、実現までのロードマップをつくる。
p.281 自然法は、神の法のうち、人間の理性によって発見できる部分。
p.311 自然科学がなぜ、キリスト教、とくにプロテスタントのあいだから出てきたのか。人間の理性に対する信頼、そして、世界を神が創造したと固く信じたから。
p.326 ドイツ語の再帰動詞が用法が弁証法のロジックとシンクロしている。マルクス主義は、教会の代わりに共産党がある。共産党はカトリック教会のように、一つでなければならない。プロレタリア/ブルジョワの二分法も、救済される/されない、の分割線なのです。
p.338 これから、日本やアメリカの企業がどんどん中国企業に買収されると思う。中国人のものの考え方に、キリスト教徒が影響されていく。そういう新しい局面が、21世紀の基調になっていくだろう。
文献案内
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書籍情報入手先 ★★☆☆☆
『日本語力をつける文章読本』 第2部第8-1番 2012.8
『新書大賞ベスト5』 2012 No.1
『知に歴史あり』 (これぞ講談社現代新書書)第10番
『敬和学園大学100冊の本』 第63番 2012
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所在
7FS190ハ 市立190ハ